【近隣情報】お金持ちならぬ「お金餅ち御膳」が登場!
2013年10月17日
観光農園花ひろばの鈴木です。
本日は、近隣情報をご案内します!
南知多は、内海に、
お金持ちならぬ「お金餅ち御膳:小平治御膳」が登場。
女将会が考案した前野小平治埋蔵金伝説とお料理のコラボ
◇◆お金餅ち御膳:小平治御膳◆◇
一、酢の物、黄金時代を築き上げた前野家の埋蔵金を金粉で演出
二、お刺身は出世魚
三、茶わん蒸しの中には小判にみたてたあるものが埋没
四、フライは南知多で有名な大あさりを小判型にしてみました
五、豆乳知多豚しゃぶしゃぶ
地元知多豚を使い、唐人お吉の色白をイメージした豆乳
野菜の小判とお金持ちを餅として取り入れたしゃぶしゃぶです。
下記提供宿にて、お召し上がりできます。
気になった方は、お問い合わせください。
提供宿
料理旅館はしもと 0569-62-0190 http://uminomae.net
ホテル大新 0569-62-2211 http://onsen-daisin.com/
大東旅館 0569-62-3111 http://utumi-daito.com/
いち豆(豆千) 0569-62-1126 http://utsumi-ichizu.com
内海の小平治埋蔵金伝説について、
もっと知りたい方のためにコラムをご用意しました。↓
また、近隣の面白い情報をお知らせしますね!お楽しみに!
?????【 ちょこっとコラム:前野小平治埋蔵金伝説 】?????
前野小平治とは
内海東端地区から内海川に沿って
500mほど北、高ノ宮神社の山裾一帯は、かつて近世、中期から後期にかけて
尾州廻船・内海船を代表する船主としてその名を知れた前野小平治の屋敷が
あったところである。慶長17年(1612)内海東端村に移り住み海運業を始めて成功し、ここから代々「小平治」を襲名し10代まで続いた。
「5代目」の頃に海運などで隆盛をきわめ、1833年(天保4年)の天保の大飢饉のとき江戸町奉行の要請で船を総動員して、4万石以上の米を各地から江戸へ運んで人々を救った。ところが、尾張藩はこれを快く思わず、
度重なる尾張藩への調達金等で関係は悪化していった。この頃から前野家の
取り潰し計画もあり、財産の一部を屋敷とその周辺に隠し、
今も埋蔵金伝説をして語り継がれている。
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